山陰柴犬🐕の歴史、その⑤😊

みなさん、こんばんワンコ🐶🌠‼️今夜🌃もわんtogetherのブログへお越し頂きまして誠にありがとうございます😊

さて昨夜は山陰柴犬の歴史について終戦後の時代についてお話しをさせて頂きました今夜も引き続きその後のお話しをさせて頂きますね❗️

終戦後、太刀号とその子孫の活躍で一躍知名度が上がり山陰柴犬の繁殖保存活動は順調に進んでいくはずだったのですがここでもまた相次いで困難な状況が襲いかかります💦

1951年、1961年に鳥取県内でジスデンバーが猛威を振るい、特に2度目の流行の勢いは凄まじく多くの優秀な山陰柴犬を死に追いやりました😱

ちなみにジスデンバーの致死率は実に50パーセントにも上り、狂犬病予防法が施行されたのが1950年ですので、当時はまだワクチンも普及していなかったと思われます‼️

ジスデンバーは犬にとって非常に怖い伝染病ですので現在ではコアワクチンといってどの混合ワクチンにも入っています

お話しが逸れましたが、この様なジスデンバーにより優秀な山陰柴犬が失われたのに加えて1952年の鳥取大火🔥がブリーダーを襲い山陰柴犬は頭数、認知度も低迷を続けることとなりました💦しかし、そんな状況の中でも尾崎氏をはじめとする愛好家たちの山陰柴犬を守る活動により何とか絶滅を免れており、その努力は現在も続いています😊

今夜🌠は山陰柴犬についてのお話しの続きをさせていただきましたがこの辺りでおしまいとさせて頂きます😊それでは今夜もお付き合いいただき誠にありがとうございましたまた明日の夜🌠のお越しを心よりお待ちしております🙇‍♂️(参考:山陰柴犬育成会ホームページ)

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